熊本研修時代に

 「あつまり」
   どんなものも・・・集まるところには集まるし、無いところにはない。たとえば・・・
 空手の上手いやつはより上手になるし、下手なやつはそのまま。
 努力する人間は努力し、サボるやつはどんどんサボる。
 お金の集まるところにはあつまり、無いところには無い。

 僕の友人にお金持ちのやつがいる。結構、家庭そのものが裕福で、そしてその友自身もお金の周りがいいようだ。そして、やはり家がそう裕福でないところは、その家に生まれた子自身も、あまりお金の周りがよくないように見える。簡単に言えば、僕自身がそう。
 これを考えると、お金って不思議だね。もっと拡大して言えば、地球上の南北問題と同じなのかな?。集まるところには集まる。類は友を呼ぶ、きっと真実なのだろう。
 

 「得意分野(+あつまり)」
   なにか、力をもつ。
要するに、それに対して自分の労力と時間を費やした結果、得られるものだ。
僕は空手が玄人だ。だから一般人よりそこそこ強いみたいだし、多少の危ないこともなんとかなるかもしれない。でも、これは僕がそれだけ時間をつぎ込んだ結果にすぎない。そのぶん、テレビは見てないし、本も読んでない。 読むといったらインターネットで調べるニュースだけか。だから、最近の流行もわからないし、今の話にもついていけない。
 今、京都にいる僕の友人は本当に本をよく読む。だからその友達は僕よりいろんな考え方を知っており、いつも話していて関心する。尊敬の対象だ。その友は本からいろんな世界を見出して、自分にしか見ることのできない世界を見つめている。
  僕も空手に時間を費やして、人と向かい合ったときに、大会で人前に立ったときに、僕にしか見ることのできない世界を感じ、見つめている。

 人には人の見る世界があって、己の力をつぎ込む道がある。きっとそれでいいのだろう。
 


 「祈り」
   祈りが届く。
こういうと宗教がかって、怪しげかな?だけど、ある程度は真実かなと思う。「祈り」ということは人間にしかできない。それは、わざわざ時間をそのために費やすということだろう。だったら、全てとはいわないが、たとえ少なくともなんらかの効果がこの世の中にあってもおかしくないのでは?。

 だから僕は祈ってもらった。僕が空手の九州大会があったとき、その前の期間に友達に「全力をだせるように、祈ってて」とけっこう言いまわった(笑)。で、その甲斐あってか・・・九州3位。自分のミスもあったのだが、運か、祈りおかげか、自分の実力か。それでも3位になった。きっとそれも友の祈りのおかげかな。

 だから僕は祈る。自分自身が怪我をしないように、家族が健康で平安であるように、友の病気が治るように、友が道を踏み外さないように、 友が僕の僕が友の友でいられるように。
 自己満足にしかすぎないが、祈りが力になれば、いいと思う。




 「ひとつが全てに」
 

 僕は、世の中に法則があると思う。
そして、なにか一つのものごとが、全てに応用できると思う。
僕は空手が好きで、今も上達している。その方法は、手本を見て真似して、繰り返すこと。それ以外にはない。

 大学の時はピアノが好きだった。楽譜は読めない。だけど弾きたい。ならば空手を応用する。まず、楽譜をよみとって押す場所を覚える。そして、その押す順番をすべて覚えていく。練習する。原曲を聞いて、強弱を聞き取る。あとは繰り返す。そして、続けること2年、なんとか2曲を覚えることができた。
  練習の過程は空手からだったが、ピアノで弾いて演じる「強弱」「緩急」の部分は、逆に僕の空手に影響を与えてくれた。それから、動きにメリハリの緩急が上達した。

大学では英会話もした。最初はまず、英語をしるために大統領就任演説をした。練習方法は空手と同じで、まねして繰り返すこと。僕には受け入れやすかった。それを3年間いろいろ学ぶ。そして、英会話というのは、自分の意思をしっかり伝えることであり、相手の言ったことにすべて、「Why?(何故)」をもつことだった。
 そして空手の技にも疑問をもち、大きな講習会でも恥ずかしがらずに質問をどんどん浴びせることができるようになった。ここでも、練習方法は空手から。そして逆に得たものがあった。

そして、今はバイクを乗ることが好きだ。方法はもうわかってる。だけど、これから何が得られるかはまだわからないが、バイクはバランス感覚が難しい。それをコントロールするのたいへんだ。きっとこれが空手になにか与えてくれるかもしれない。楽しみだ。

そして、これからまだまだ空手のレベルを上げていけば、緩急や、今では定着した疑問をもつ態度、バランスに対する感覚をもっと研ぎ澄ませていくことが出来ると思う。